先日、中国籍の外国人労働者の方々と、寮を「きれい」にするルール作りを
話し合うため、3日ぶりに彼らの寮を再訪したときの話です。

そもそも中国では、学生時代から寮で相部屋にて生活する経験をしている人が多く、
一人っ子が増えているものの、いわゆる共同生活への抵抗感自体は少ないです。
また地方都市では、電車や家の窓からごみのポイ捨てが多く公共マナーが問題と
なっている一方で、自分の部屋はきれいにする傾向が強いのですが、訪問した寮は
さすがは男部屋、私自身の学生時代が懐かしくなるような散らかりようで、
「きれい」にする甲斐のある部屋でした。

「今で十分きれいです」という彼らの意見へ反論するために、入口ドア下に
タバコ吸殻が3日前から落ちていることを指摘すると、すぐに拾いゴミ箱に捨てて
いましたが、誰も気にならなかったの?という疑問がわき、私が期待している
「きれい」というイメージを伝えるためにも、「友人や知人が来たときに、
招かれた人も招いた人も、きれいだと嬉しいでしょ?来た人が驚くぐらいきれいに
掃除しよう」と彼らに話し私自身も掃除を始めてみると、彼らも続いて各所の
清掃をしながら清掃責任者を決めていきました。

他に気になる清掃箇所があるか聞くと、自転車置き場もきれいにしたいということで、
一緒に行くとすぐさま数列に並べはじめましたが、そこの寮生の人数は多く、
「皆自転車を所持しているのだから置く場所を決めないと、帰ってきた順に
家に近い方、近い方へと停めるだろうから、これじゃ長続きしないね?」に対して、
「確かにそうです」と先輩・後輩別や男女別がいいとかいろいろと相談し合って、
それなりの方法で駐輪ルールを作ることになりました。

例えば「この部屋をきれいにします」「自転車置き場のルールを作ります」という
話を具体的にどこをどうするのか、一緒になって行動してみないと「きれい」
というイメージの差が大きいため、なかなか到達点がはっきりしないものです。
一般的にきれい、というのがどこまでのレベルを指すものなのか、これまでの
経験からくるイメージがお互いの頭の中に存在するため、このぐらい、という
「程度の問題」は実際にその程度を見せて、こうする、ということに対しては、
どうやって継続させるのか、という教え方や示し方が一番大事だと、こういった
現地視察の度に感じます。

彼らと作成した寮規程の一部となる清掃ルールを各責任者が予定通り実行し、
確認・指導を行ってくれるか多少の心配はありますが、来客があったときに、
「意外ときれいですね」と彼らに褒め言葉がかけられる日があることを信じて、
しばらく気に留めて見守り続けてみようと思います。